雲の湧き上がるように。


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自殺者連続3万人連続7年超える
ということがニュースになっていた。
相変わらず「ネット」がキーになっていた。

たしかに、増加しているのはネットがらみの自殺だろうが
いまだ3万人のうちの55人だ。
そんなことを言うよりは、不況の陰がいまだに
続いていることのあらわれだと考えるほうがなんぼかマシである。

しかも、仮にネットがらみの自殺が半数を超えたところで
僕はネットを規制すべきだとは思わない。
その場合、ネットがあるから自殺に走ったのではなくて、
自殺に走るほど孤独に追い込まれた人間に残されたのはネットだけだった、
というだけの話だからだ。
ネットがない時代なら単に引きこもっていたかもしれないし
クスリ漬けになったり、乱交を繰り返したりしたかもしれない。
でも、それは結局のところ、彼らに残された最後のものだったのだ。

文脈は異なるが、ネットがどういうポジションにあるのかを
教えてくれた文を紹介する。
代々木公園に「リトルテヘラン」ができた経緯を描いた社会学モノグラフから。


公園のようなパブリック・スペースを「たまり場」とせざるを得ない状況とは、ネットワークの豊かさを意味するのではない。それはあくまでも、自前のネットワークを創出するための関係的基盤の弱さを意味していた

町村敬志,1999「グローバル化と都市」『講座社会学 ーー都市』東京大学出版会、p.199

このような指摘はかなり広範に応用が可能だろう。
敷居の低い、パブリックスペースにたまる「しかない」人々は基本的に
人的ネットワークに関して貧弱である。
というか、人的ネットワークに関して貧弱な人は
パブリックスペースしか助けがない、ということだ。
社会的に通りのよくない名前も不問になる場所がパブリックスペースであり、
公園もネットも基本的には同じである。

それが、孤独な人同士を共振させる場になったとしても
そこを規制するのは、原因を規制したのではなくて
結果を規制しただけなので、つまるところ問題は潜在化するだけだし
問題が社会問題になることを遅らせるだけである。
個人的な問題が社会問題になることは、
それを背負わされる社会にとっては厄介かもしれないが
当事者にとっては、そうやって社会に返すしか方法がなかったはずだ。
あるいはそうやって新たに社会を作るか。

なんにせよ、パブリックスペースを規制することは
社会の硬直性を高めるだけで、ほとんど何も寄与しない。
パブリックスペースに起きていることは、そのスペースが
何か影響を及ぼしているのではなくて、社会全体の背景が
そこの結果を出しているだけである。

ふと思うんだが
逆にパブリックでなければ、問題がないというのだろうか。
終末医療で安楽死をささやく遺族になろうとする家族達は
規制されなくていいんだろうか。
されなくていいかもしれないなら、ネットも同じ程度に規制されなくてもいいし
されるべきなら、ネットもまた同じことではないかと思う。

| 時事くさい。 | comments(2) | trackbacks(0) |
ん、ちょっと難癖をつけに。
ネットカフェより

それにしても
朝日はアホだと、思って毎日新聞にしたものの
こざかしい言い回しが出てきたので
ちょっと書いておく。

おれおれ詐欺の流行について
にたような「なりすまし詐欺」は
かつてもあったが、かつては今ほどはやらなかった。
それは人の信頼関係がきちんときずけてないからだとかうんぬん。

かつてあって今ほどはやらなかったという事実関係については
「ふーん」と思うが
別にそれは精神的なものに還元する必要はなくて
単に親と子でさえ離れて住むことを奨励し
その結果、二世代離れた孫のことなど
めったに連絡が入らなくなった現状があるだけで
それは、核家族化の進展の結果でしかない。

それと、もうひとつの要因としては
使う特定の目的のない貯蓄を高齢者が蓄えている、ということだ。
高齢者なのだから、何か大きな事業を始めることはないが
年金にそれほど期待できないのは明らかなのだから
自分がどれほど生きるかわからないまでも
ある程度貯蓄しなければならない。
しかし、高齢化は医療の発達にともない
これからもじわじわと進展するだろうから
高齢者の貯蓄率も下がりようはない。

上山さんのブログで
ベーシックインカムなるものを見たが
これは面白いアイデアで
単にニート、引きこもり対策を超えて
高齢者の貯蓄率を下げることもできるかもしれない。

ともかく、おれおれ詐欺の流行は
社会的、かつ経済的な要因によるもので
精神構造の変化だとか、そのようなあいまいなものによるのではない。

はい、次。

***

これは投書なのだが
アメリカが平和のために自由を犠牲にしてるうんぬん。
「自由なき平和」と「平和なき自由」の
究極の二択なら後者を選ぶうんぬん。

あほか。

「平和」がなかったら自由なわけねーだろ。
でも、このレトリックは確かにそれなりに有効で
たぶん、アメリカでも平和のために自由を制限するとか言ってるだろう。
で、普通の人は後者が破綻してるのは明らかなので
前者を採るしかない。
この投書の人はたぶん、あえていってるのだろうけど
それにしても、この二択に乗った時点であほなのだ。

でも、正味の話
「自由なき平和」というのも嘘で
「平和のために自由を制限する」のであって
つまるところ「今現在は平和ではない」ことを前提にしている。

だから、自由を制限したら平和になるわけではない。
平和になろうとしている、というのは
レトリックの上で認めてもいいが、
それが現実的にきちんと保障されているわけではない。

そういうわけで「自由」と「平和」を
天秤にかけること自体がナンセンスである。
僕らは自由に平和を目指そう。

はい、次。

***

というか、これはおまけだけれど
女性天皇の話は、何か奇妙な気がしている。

日本は血ではなく、家の文化であって
中国の血族のように脈々と血をつないでいくのではなく
抽象的な文化そのものをつなげるのが
少なくとも江戸あたりの風潮であった。

要するに、基本的には
長男を跡目にしたいけれども
それがぐずだったり、そもそも男児がいなければ
信頼できる養子を取ることにそれほど
ためらいはなかったはずなのだが
何を血にこだわるのだろうと思う。

ま、どうでもいいんだけど。

ただ、一般的に見ても
核家族化の進展と家業、というものの衰退を考えれば
家よりは、血がかえって前面に出てきているのかもなぁとは思う。
めんどくさい話だ。

| 時事くさい。 | comments(1) | trackbacks(0) |
幸せ売ってませんか。
毎日新聞で
大阪府教育委員会がやったとかいう
小・中学生の生活に関するアンケート調査の結果が報じられていた。

この手の調査は、調査票そのものの信頼性が
どんだけあんのか疑問なんだけど
それはおいといて報じられてる数字を見ると

「私はとても幸せだ」
「はい」小53.3%、中41.5%
(小・中学生とも成績上位層が高いポイント)

ただし、成績上位層でも
「どちらともいえない」「いいえ」小4割以上、中5割以上

まー、報じられてる部分が
なんて恣意的なんでしょうと思わざるをえないですけれど
詳しいソースも出てこなかったのでこのままで。

でも、まぁ、こんだけあれば十分じゃないかと思うわけです、僕は。
「どちらともいえない」にたぶんそこそこ集まってるはずだし。

成績の上位層と下位層では幸福感に差はあっても
>「どちらともいえない」「いいえ」小4割以上、中5割以上
ですから、幸福感にイエスと言ったのは
小6割以下、中5割以下なわけで
統計的に有為にはなりそうですけど、
まぁ、数%の差しかでないわけです。
(なんでこんなまわりくどい記事なんだ)

つーか、「幸せ」ってなんですか?
見つけやすいものですかね。
っていうあたりのところを知らなきゃ
彼らも「幸せ?」って聞かれてもうまく答えらんないと思う。

僕は割と感情の語彙が遅れてた記憶があるけれど
そういうのは誰かが見本を見せてやらないとわかんない。
ね、奥さん。あなたですよ、大人ですよ。

ちなみに
僕は小学生が幸せである必要をまったく感じない。
不幸せであるよりは幸せであったほうがいい。
だけれど、小学生が幸せであるよりも
中学生が幸せであるべきだし、
中学生よりも高校生が、
高校生よりも大学生が、大人が幸せであるべきだ。

充足感というのは
夢みたものと今の自分との距離によって決まる。
そういうことをたぶん、大人は教え忘れる。
というか、自分のことを教えたがらない。
自分がどんな目標を持っているか。
だらだらやってるように見える仕事に
どんな展望を抱いているのか、何も言わなければ子どもは知らない。

大人が展望を持っていても
それを知らされなかった子どもに
そんなもん、幸せがどうのって言われたって
「何それ」って感じで困るだけだ。

| 時事くさい。 | comments(5) | trackbacks(0) |
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