雲の湧き上がるように。


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殺人者たち
「過失で人を殺すことには耐えられないが
僕の責任で人を殺すことには耐えられるだろう。」

僕がずっと前に書き付けていたメモだ。

たぶん、池田小の事件がらみで考えていたことだ。
また、こういうのもある。

「意識的でなければ責任を問われないのだが、
ある特定の悪意は限定されているゆえに、
無意識の危険人物より安全であり、また刑罰の意味もないのではないだろうか。」

精神錯乱ということを考えている。
まぁ、これは書き過ぎで、刑罰の意味がない、というのはないだろう。
けれども、無意識の殺人者よりも意識的な殺人者のほうが安全だろうとは思う。

別に人を殺そうと思ってこういうことを書いたのではないし
今もそう思ってないので安心してもらっていいのだけれど
刑罰が単なるコストでしかないなら、
殺人というものはなくならないのだろう。

人を殺すということがコストと計りにかけられ
それでも殺すほうに傾いたなら殺す、
逮捕された後は清算を待つだけ。

殺された人間の周囲はたまったものではない。
刑罰で清算されるものなど何もない。
殺されるべき人間だというように思って
ごく普通の人付き合いを続ける人間なんていないのだから
殺されたことを納得できようはずもないし。

ここにある落差に愕然とする。
ここにあるのは距離などというものではなく
文字通り落差であり、地平は完全に断絶している。

殺人者のカテゴリーとしては
1,意識的な殺人者
2,精神錯乱による殺人者
3,過失による殺人者
というものがあげられる。

1については先に述べた様に
刑罰をコストとしか考えない。
合理的な選択者である。

3で典型的なのは交通事故であり
これだけはもしかすると和解の可能性があるかもしれない。
少なくとも殺人者は悔恨の意を示す権利を持つと
みなされているからだ。

2は異常者である。
1のように合理的な選択をした形跡が見られず
合理的な動機の説明もできず
対処法としては隔離しかない。

これをいちいち挙げているのはなぜかと言えば
どうも話題になる殺人というのは2を装った1であるように思えてならないからだ。
不可解な殺人だけれど、本人はコストを了承しておりむしろ清算を急ぐ。

なんか、引っかかりがいろいろとあるのだけれど
ちょっと糸口が見当たらないのでまたしばらくこれは
お蔵入りかな。

仕事の時間なのでいってきます。

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年金問題の取り扱い
今さらだけど
年金問題というのが問題になった時
僕にはまったく意味が分からなかった。

何がどう、問題なのだと。
脱税ではなくて、年金の未納が問題だと。

国民の義務には
納税の義務はあるが
年金納入の義務なんてのは聞いたことがない。

どうもよく聞いていると
「まったく足しにもならない年金を
あれこれ工面して払っているのに、
お前が払わないのはけしからん」
という感じのようである。

俺は損をしそうなのだから
お前も損しろ、と言いたげである。

というか、これは特にサラリーマンは
会社がまとめて払っちゃうから選択の余地がないのに
お前は払わなくて済ませられるじゃねぇかと
そういうことな気がする。

結局、これが問題になってるのは
年金で得することができないからで
年金で得することができるなら
未納であっても「ふーん」って感じなんだろう。

自分が個人的に得をしないけど
公共の福祉のために必要な財源ってのは
いわゆる税金として取られるのが建て前なので
だったら年金を税金という形にして
増税するのがいいとは思うんですが
何故かそういう形にならない。

たぶん、集まった年金の帰り道が
個人に向かうから、どうも建て前的にも微妙なんだろう。

あと、リスクが変動するなら
個人が勝手に積み立てなり保険なりを活用してもらうことにして
生活保護とかそういうものは
高齢者だけでなく、すべての無収入者に対しての
セーフティーネットを整備するという形も考えられる気はする。

まぁ、僕はなるようになるさと
制度的なことに関しては、あまり考えずに
とりあえずほっといてるのだけれど
僕がここで、引っ掛かっているのは
その攻撃の仕方というか、判断の仕方が
なんだか、違法-合法という枠組みを
援用したがっているような気がしてならないということ。

要するに形式的な行為の
明文化されたルールに対する信頼(信奉?)の度合いが
高まっているように感じる。

言葉に関しては裏読みが深くなっている傾向が感じられるのに
こういう問題の対処の仕方というのは
ひどく形式に依存しているように思える。

それも、何かルールが動かしがたいもののようにして
あるように感じられる。
だって、年金って払わなくてもいいように
してもいいじゃないかって誰も言わない。
形式的な行為のルールとしての「法」というのは
もっと自由に変えられるものだと思うのだけれど。

もっといい切り口はあると思うのだけど
うまく進めないので、また明日起きてから考えます。

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