雲の湧き上がるように。


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ゆうべ見た夢に、僕が出てきた。
なんか、少し余裕がある。
こういう余裕をネットにすぐ費やすのはよくないと思いつつも使ってしまう。
基本的に浪費傾向が強いのだろう。

家から持ってきてもらったCDには
ライヒを中心としたいくつかのCDはないのだが
それでもいくらかはあるので
久しぶりに聞くものが新鮮でうれしい。

ケン・イシイなんかも
久しぶりに聞くとやっぱりうまい、というか
そのディティールのとげとげしたものが
なめらかな波を作るようでなかなか気持ちいい。

そういえば、
仕事場で洗い物をしているときに、
自然と音のリズムが楽しくて
everything we do is music
だなんて思い出す。

Towa Teiのリミックス版のstupid Freshに入ってた曲だ。
いいこと言うなぁ。
ダンサー・イン・ザ・ダークにもそのままつながっていく。

アートなのかね、人生は、僕の人生は。
どうだろうか。そうだろうか。
そうだといいな。僕に意志があるならそうだろう。
アートとして提出したならそれはもうアートだということと
それがアートだというのはつまるところ
natureではないってこと、そう考えれば
僕はとっても不自然に、ねじくれた根性を持ってるのだから
きっとアートだ。善き生きてますかね、僕は。

誰もそういうことには答えない。
僕の人生のことは誰も知らないからだが
僕が僕でなくなった「ヒト」ならきっと誰かが答えてくれる。

たとえば、こうやって書き付けた文章というのは
どんどん僕からかけ離れて日本のどこかのサーバーに収容され
シグナルを待つ。

僕はと言えば、
応答された文章に応答するのだが
僕自身が提出した文章にも応答している何者かで
しばらくして、恥ずかしがってみる。

なに、アートって(笑
引っ越しセンター?(笑

もはや、名前も忘れたが
どっかの社会学やってる先生が
社会学はリフレクションだって言ってた。

世界が情報化するってことは
リフレクションがインフレするってことだ。
無限映しの鏡がそこらじゅうに張られる、ということだ。
そこで出会うのは、「僕」だ。
僕という「ヒト」だ。

もはやすたれた「自分探し」というのは
誰もしなくなったから言われなくなったのではない。
むろん、いくらかの避難に負けて消えたのではない。
そうではなくて、日常的に向き合うほかなくなり
それが日常のモードになっているからだ。

僕らはそろそろ「あなた」を探さないといけないが
どうだろう、あなたは今晩暇だろうか。
少し余裕があるとこんなことまで書いてしまって
あぁ、恥ずかしい。

| 生きる技法としてのアート | comments(0) | trackbacks(0) |
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