2008.04.18 Friday
スポンサーサイト
この広告は60日以上更新がないブログに表示されております。
新しい記事を書くことで広告を消すことができます。
新しい記事を書くことで広告を消すことができます。
| - | - | - |
<< September 2011 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
![]() ![]()
2005.01.14 Friday
知らない人から希望もらっても、社会からもらう希望などない。
最近、よく「希望」が話題になる。
というのも、「ニート」関連から 「希望格差社会」というのが発想されており、 「希望」にひっかかった団塊あたりが共鳴しているのだろうと思う。 でも、はっきりいって 「希望ある社会」はナンセンスだ。 それによって「ニート」はなくならない。 むしろ「希望ある社会」のほうが ニートの選択肢は魅力的になるくらいだ。 なぜか。 僕らひとりひとりの希望は 社会から供給されるものではないからだ。 社会が希望に満ちあふれているとされた たとえば、高度経済成長にいったい何があったか。 それは確かにみんながんばれるようになった。 しかし、個人の顔はどんどん消失するのだ。 社会の希望に奉仕するなら、 社会は肥大化しても、大衆が肥大化しても 個人の希望はほとんど影響がない。 そして燃え尽きたなら終わりだ。 個人の希望は本来的には 個別的なもので 多様性のある希望を どれだけ社会が許容するか つまり「希望を持つことを許す社会」だけが正しい。 「希望を持たせる社会」は 基本的に「社会」のエゴイズムだ。
| - | comments(6) | trackbacks(2) |
コメント
あぁものすごくそのとおりだなぁ、と納得。
この日記は分かりやすくて説得力もありますね。 私はテツくんの物事を丁寧に見る姿勢に常に感心してますよ。 私にはまだ足りてない、って思います。
| メイ(gypsycat) | 2005/01/15 12:39 AM |
ありがとうございます。
でも、分かりやすい部分しか書いていない、というのも事実。 だって、本当なら 「希望を持つことを許す社会」とは何かについて 論じないと、これは当て逃げに等しい。 僕もまだまだ精進しないと胸を張れるほどではないです。 とはいえ、ほめられて伸びる子なので がんばります(笑
| テツ | 2005/01/15 10:58 PM |
初めましてこんばんは。今頃すみません。下のスローライフ〜から来ました。
トラックバック良くわからないのでコメントで失礼します。 「希望を持たせる社会」は、社会(おおきなシステム)の側から言えば当然だと思います。 「希望許す社会」は難しいですね。双方の欲求の均衡を保つ社会ということでしょうか。つらい。 考えてはいるのですが何ができるのか、わからないままです。
| カロ | 2005/01/29 11:49 PM |
はじめまして。
「希望を持たせる社会」というのは 社会が希望を用意する社会です。 ある目標を用意し、それに向かって組織立てて行くような社会です。 それに対して「希望を許す社会」は システムとしては希望に対し、タッチしようとせず 出会いと学びの場を整備し それへのアクセスを容易にするという方向付けになると思います。 「双方の欲求の均衡」が何を指すのか逆に僕には分からないのですが 「双方」が個人対個人を考えているなら ここではあくまで「社会対個人」を考えているので それが均衡するかどうかは考えていません。 ただ、僕は、この不況下で 「もっと希望を見せろ」と政府に言う新聞があったりするので 「それはおかしい、政府や社会は希望を見せるものではないのだ」 ということを言うために書いたのです。 政府は「安心」を提供して 「希望」なるものは下からのボトムアップを 期待できるような形でシステムを形成するのがよいだろうと思うのです。
| テツ | 2005/01/30 8:19 AM |
こんばんは。
双方というのは社会と個人のことです。 社会側からは最低限社会システムの存続に貢献するような人物が確保できる(有り体に言えば公務員など)、 そして個人は社会のネットを利用しながら自分の希望に沿って将来を求めてゆける、 そのような状態を作るのは難しいのではないか、と思ったのです。 「希望を許す社会」ができるほど社会はしっかりしたものではないし今は特に余裕がないと思います。 それができるに越したことはないですが、悲観的に過ぎるでしょうか。
| カロ | 2005/01/31 3:18 AM |
カロさん
いいコメントをありがとうございます。 僕としては それほど社会というものをデリケートだとは とらえていません。 問題はフローの有無です。 つまり、それはいかに多くの人が 社会の場で、つまり他者とかかわりながら 活動することができるかどうかが 社会を社会たらしめているのであって その方向性が「現在の」社会と同じであるかどうかは あえて問題にする必要がないと考えています。 また、今は特に余裕がないとおっしゃっていますが NPOやNGOなどの諸団体が 少しずつ存在感を強めているこの不況化は、 実はそういうそれぞれの希望がボトムアップによって 形成されつつあるのではないかと僕は思います。 まだ、完全にいい形だとはさすがに僕も言えませんが この停滞期はおそらく転換期に向けた時代なのではないかと思います。 別の視点からコメントをいただけたことで より深く総体的に考えることができました。 ありがとうございます。
| テツ | 2005/01/31 7:31 AM |
コメントする
この記事のトラックバックURL
http://mizutetsu.jugem.cc/trackback/109
トラックバック
希望格差と二極化
言語学研究室日誌 / 2005/01/17 4:12 AM
希望を持つとは、希望を描けること。 映画でもアニメでも、とにかく希望のシナリオを集めよう。 そして主人公を自分に置き換えよう。次に、それを実現した人を見つけよう。 彼らの言動に元気をもらおう。 誰かに安心をもらうなんて面白くないから。 ▼━━━━━━━━
スローライフに移行する先人の知恵と秘密 / 2005/01/29 8:30 PM
|