雲の湧き上がるように。


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マスコミはどのような権利で発言できるのか。
差別語の話、のたぶん、最終回。

マスコミはPCに気を配ろうと思えば
すべての人間に気を配らなければいけないことになる。
これはごく自然で穏当な考え方なのだけれど
すべての当事者であり、かつ
ポリティカル・コレクトであろうとすることは
すべての当事者から逃れる、ということだ。

おそらくマスコミは
ポリティカル・コレクトであるために
「当事者でない」ことを指弾されるであろう。
あるいは当事者の立場に立っていないと。

いやいや、それはおかしい
当事者の立場に立つからこそ
ポリティカル・コレクトであろうとしたのだと言うと思うし
それはもっともなのだけれど、
ほんとうに当事者の立場に立つというのは
同時に二つ以上の立場には立てないのだし
当事者は常にある問題の周囲に複数化して存在している。
だから、ポリティカル・コレクトであるということは
当事者ではない立場へ上昇して問題を
固定した形で提示するという方法なのである。

で、マスコミはそういった批判を受けたら
いったいどのようにすることができるのだろうか。
「われわれは公正中立な報道をするために
当事者の立場に立たない」と明言することはできない。
というのも、批判を受けた時点で
当事者に引きずり込まれてしまうからだ。

そこで、マスコミは
マスコミ独自の足場というのを求められる。
マスコミという当事者、の足場だ。
この足場を考えることは
基本的に「介入者」の足場であると思う。
当事者でなかったものが
いかにして当事者として改めて発言権を得るのか。
だから、マスコミでない僕も考えたい問題として出てくる。

と、ここまで書いて、
後のことは一寝入りしてからにしよう。

| 境界の思考(同心円、分節) | comments(0) | trackbacks(0) |
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