雲の湧き上がるように。


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同じものの前でしか生きられない。
享子さんの「同じもの」について。
ずっとコメント欄で書いてきたけれど、
まぁ、やっぱり僕は異論というよりは
付け加えるつもりで書いていたので、こちらで書きましょう。

可能的な私と現在の私は連続性によって同一性を確保しているのではなくって
むしろその逆で、「私」は可能な私も含み込んだ同一性を保持しており
その無限の幅の中で、反省をすることが可能になる、ということだったと思います。

ここから分かるのは、同一性は観察によって得るものではない、ということです。
観察によって同一性を確保しようとするならば
確定することのできない可能的な差異が邪魔をします。

でも、「私」は世界の中にありながら
それ自体が世界であるような特異点です。
(つまり、可能的なものを同一性の中に含み込むことができるもの)
(起こりうることはすべて起こりうる)

問題はむしろ「私」以外のものの
同一性をどのように確保するのか、ということにあると思っています。
それが「ひとつのもの」の境界の確定に関する問題です。

この問題を掘り下げる前に
「起こりうることはすべて起こりうる」という命題とは別の
「同じものは連続している」という常識的な命題についても考えておきましょう。

「起こりうることはすべて起こりうる」というのは
何が起こっても同じものは同じものであるということでもあります。
同一性が先にあり、その同一性はそれぞれ可能的なものを含み込んでいるので
それに支えられて、同一性は保持されます。

しかし、認識する側からまわれば
あまりに桁違いな変化が起これば同一のものと
みなしえないこともあります。
たとえば多重人格が「多重」の、別々の人格を持つと認識されるのは
それぞれが別の同一性を持っていると考えられるからです。

ありがちなドラマめいた台詞でいえば
「今のあなたは、昔のあなたじゃない」みたいなものでしょうか。
(そして、この後には自分の対応の変化をそれに基づいて説明する)
これが「同じものは連続する」の裏返しの
「連続しないものは同じものではない」ということです。
だから、ドラマのセリフはあなたと呼ばれたAさんが
自分の変化について断絶ではなく、蓋然的な連続であることを示すことで
相手側も歩みよりがあったり、過去のAさんから拒絶したり
統一的な対応を示すようになります。

このことから分かるのは
「同じものは連続する」という信念は
観察と説明によって維持されるもので、
それをもとに対応を可能にするものだということです。
(科学的な原理とも言えるかも)

つまるところ、この原理は
対応の必要性に応じて「ひとつのもの」を確定することができます。

享子さんのコメントの中で提出した「違うものは連続とみなせるかという」変化の問題も
このふたつの原理を使うことで可能になります。
しかし、この端緒は合理的な説明のできるものではなくて
特異点である「私」がその権利を行使して
「ひとつのもの」の境界を画定しており
論理的には循環しているのです。

コメント欄の用語に戻ると
「性質」によって同一性を保持するのは
「同じものは連続する」という原理にしたがっています。
内容に関する同一性です。

そして、存在に関する性質としてあげた記号の同一性は
「起こりうるものは起こりうる」という原理にしたがっています。

僕が形而上的直感といったのは
記号の同一性を有効にする名指しの行為であり
対応のための恣意的な境界の画定になるでしょう。

享子さんはここで形而上的直感は
文化的社会的なものに吸収されるのではないかと言います。
確かにそういう側面もあるとは思いますが、
第一義的には、対応のためにその境界を選定するわけで
「私」との関係によって「ひとつのもの」が名指されなければなりません。
文化的社会的なものから流用するにせよ。

一方で、文化的社会的なものは
名指しの仕方について一定の規範を与えているように思います。
このことについては一般的な他者としての「私」という
また、別の問題があると思うので今回はここでおしまい。

| 境界の思考(同心円、分節) | comments(3) | trackbacks(0) |
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わからない…いつにも増してわからないですよテツくん!(うわーん)
わからないことが多すぎるので、ひとまずいくつか質問させてくださいね。

まず、なぜここで「観察」という言葉が出て来るのか(3段落)。「観察」という言葉で何を言おうとしたんでしょう。
また、仮に同一性を観察で得る、とした場合、それはどのような場面を想定しているのか、具体的に知りたいです。

4段落の「起こりうることはすべて起こりうる」という命題は今回の同一性の問題にどう関わっているのか、わたしにはよくわかりません。できるだけ簡潔に、教えてください。また、誰かの言葉を引用したものなら(ヴィトゲンシュタイン?)、その出典を知りたいです。

7段落の、
「「起こりうることはすべて起こりうる」というのは、 何が起こっても同じものは同じものであるということでもあります。」
という一文がわからない。どうしてこの意味になるのか、もうすこし詳しい説明が欲しいです。
同様に、14段落の原理もわからない。

細かく書いてしまいましたが、ポイントは
「起こりうることはすべて起こりうる」というのが一体どういうことなのかわからない、という点にありますから、そこだけ答えてくれても嬉しいです。
| asukakyoko | 2005/03/27 1:45 PM |
観察は実際に起こったことしか見れません。
「私」のことは観察しなくてもよいですが
「私」以外の何かの同一性を確定しようとするとき
ある「性質」の共通点を探る事でその対象の同一性を確保しようとします。
その時には、推論より先に観察が必要になるということです。

それはしんご君と議論した
ライプニッツアイデンティティの前提になる行為です。

一方で、可能的な様態、性質を含んだ存在は
観察によって基礎づけられません。
「私」の同一性とはそのようなものです。
端的な同一性です。

「起こりうるものはすべて起こりうる」というのは
以前、どこかで世界の定義として「文法的に起こりうるものはすべて起こりうる」と僕が述べたりもしてたのですが
今回の話は永井均『私・今・そして神』の
ライプニッツ原理(起こりうるもの)とカント原理(連続するもの)
にあわせて書いています。
一応引用しておきます。

「二つの原理が対立している。何が起ころうとそれが起こるのは現実世界だ、という原理と、起こることの内容的なつながりによって何が現実であるかが決まる、という原理だ。この対立は何が経験されようと経験するのはつねに私だ、という原理と、経験されることの内容的なつながりによってどれが私であるかが決まる、という原理との対立に、並行的である。現実の場合も私の場合も、前者をライプニッツ原理、後者をカント原理と呼ぼう(勝手な命名だが)。」(p.105)


というか、「起こりうることはすべて起こりうる」というのは
享子さんの「私」についての話そのままのつもりなんですけれども
そういう補足ではいけないですかね。

うーん。

林檎が目の前でだんだんと変化してバナナになった場合でも
それは林檎であると断言できる、というのが
「起こりうることはすべて起こりうる」ということです。<
| テツ | 2005/03/28 1:12 PM |
14段落の記号の同一性について補足します。

それが可能的世界を持つ端的な「ひとつのもの」とします。
「ひとつのもの」はどのような変化を被っても
「ひとつのもの」として存在し続けます。

テツは赤ん坊でもテツで、
じじいになってもテツで、
ニューハーフになってもテツです。

ここで「ひとつのもの」を支えているのはなんでしょうか?
「テツ」という存在であるというのは、そうなのですが
それは具体的に存在している空間に位置をしめる
なにものかではありません。
そうではなくて「テツ」というその存在を名指す記号こそが
潜在的、可能的な存在を可能ならしめます。

もし、具体的なものにしぼるのならば
たとえば、僕があめーばのように分裂したり、
いや、そこまでSFな可能性を考えなくても
記憶喪失になって僕は「ぺ」だと言い張ったとしたら
それはもうテツではなくてぺなのでしょうか。
テツは存在しなくなるのでしょうか。

そんなことはありません。
そいつはテツだ、俺の借金を踏み倒そうたって
そうはいかないぞと消費者金融がやってくるかもしれません。
彼は物質的な連続性をあてにしてやってくるのではありません。
そうではなくて、テツという記号に対して請求しているのです。

だから、ちょうど誰か記憶が入れ替わって
僕がテツです。といって、支払う人間があらわれれば
彼もそうかそうかと言って滞りなくことは進むでしょう。
必要なのは記号なのです。

また、具体的な存在が同一性にかかわるのなら
性質の差異を検証することによって、同一性は不安定になるでしょうが
それを支えるのは名指しを可能にする記号なのです。

まぁ、でもこれは僕がこの話で見解を変えた
| テツ | 2005/03/28 1:41 PM |









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