雲の湧き上がるように。


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残像
何かを愛おしもうとするなら
何も手元にはおいていけないのだろうと思う。

写真に撮って思い起こそうとするのは
変わりつつある変わらないものを認識する手助けには決してならない。

時間の流れとともに
すべては変わっていく。

笑顔のまま泣いてしまうような
そんな繊細さを愛そうと思うなら
何も手元におかず、もっと言えば見ることすらかなわないだろう。

僕がここにいる、ということから
始めてよいのなら、ふれたときに返ってくる
柔らかさに満ちた力を感じることが唯一正しいのだと思う。

具体的に手でふれるなら肌の感触だろうし
目で見ようと思うなら、
その見られたことに対する表情の変貌だろうし、
言葉で愛撫するなら
返された言葉の温度だろう。

それらはすべて決まった形を持たないどころか
それが愛おしむべき対象の何かであることも決して保証しない。
もしかすると、それは何かノイズのまざったものであるかもしれない。

ただ、そういうことはたいした問題ではないのだ。
対象が何であるか、ということは最初から問題になりようがないほど、
すべて変わっていくのだから。

そうではなくて、そこで
ふれあっている接点の関係こそが現実たるものだろう。
向こう側に作り上げる像というのはいずれ
壊され、また作り直されるのである。

ただし、接点の関係だけが関係ではなくて、
離れたままでも僕らは勝手に色々考える。
それが互いの心として作り上げられ
ふれる以前に作用している。

つまるところ互いに知覚を差し出す前に
一方的に受け取ることが可能で、
これは経済的ではあるけれども、そして現実的でもあるだろうが
現実とはいくらか離れたものだろう。

だから、写真を眺めることによって現実を補おうとしても、
それはどうしても空虚な試みなのだ。
あえて、それを肯定的に言おうとするなら、
物語とはそのような意味の経済の中で動いていて
ようやくそこに目的や達成が生まれる。
それはもちろん、その人が目の前にいる時にも
同時に働いている作用で、言葉を交わしながらも
空回りを起こしながらも互いを駆り立てる力になっている。

でも、ずっと写真ばかり見ようとするなら
当然、現実的なものは、現実を供給されなくなる。

そして、早く会いたいな、だなんて言葉が漏れるわけだ。

| 感情の風景 | comments(2) | trackbacks(0) |
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具体と、勝手とかを手助けしなかったの?


| BlogPetのらっかせい | 2005/11/07 11:45 AM |
空虚とか現実と目的とかを愛撫しなかったの?


| BlogPetのらっかせい | 2005/11/14 12:23 PM |









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