雲の湧き上がるように。


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真か偽かということ
ほとんどのものは真偽が論理的に確かめられる
というのは確かなことで、それ自体に疑う余地はない。

真偽は「論理的に」確かめられるが
論理は記号/言葉によってしか記述できない。
イメージで真偽は確定できない。
(それができるとき、すでにそれは一つの記号として立っている)

けれどもことの真偽を確かめることと
現実を認識することにある隔たりはどのようにしても残る。

新書一冊かじりとったラッセルから取り出すと
これは確定記述-不確定記述の問題にかかわっている。
最終的に現実の存在を定義する記号など出てこない。
(出てこないってラッセルは断定しないだろうけど)
固有名も所詮は記述の束でしかない。
直接的なこそあど言葉のような指示語でしか確定記述はありえないが
文節がそれでは確定できないのではないか。

いや、存在に中心性を認めることが出来れば
「これ」と言ったときにある蜜柑の
蜜柑性が、つまり蜜柑の核心さえ確かにあるならば
蜜柑を認めることができる。

蜜柑と聞いたときに皮に包まれた蜜柑なのか
中の食用の果実なのか、オレンジを含んで言っているのか
蜜柑のある部屋を含んで言っているのか、
その時間はいつなのか。
そういったものを切り捨てるときに蜜柑の蜜柑性が役に立つ。
それが最初から蜜柑に内在しているというよりは
蜜柑の蜜柑性はおそらく設定される。

それは論理によってだろうか。
論理は真偽について語る。
しかし、存在は真偽の範疇だろうか。
とある存在が偽であることはあるだろうか。

仮にそれが幻影であって、
その幻影のイメージは偽であるだろうか。
一面では不正確なものだったと言えるが
そのイメージがあらわれたことは真である。

その幻影は役に立たないものであった。
占いは論理で言えばほとんど偽であるとしか言えない。
けれども、それは時に役立つので現代でも
ワイドショーに出てたりして、
「あんた死ぬわよ」とか言ってるわけだ。
(ん、これは存在ではないだろう)


とりあえず、言いたいことをさくっと言っておけば
存在は価値判断の対象であるが、真偽を判別する対象ではない。

ということを言うためには
1.論理は価値判断しないのか
2.存在とは何か。
3.価値判断はどのようにおこなわれるのか

そして、これらが明かされた後には
a.価値のコミュニケーションの位置づけ
b.価値のコミュニケーションの方法
c.間違いの種類
について検討することができるだろう。

| 境界の思考(同心円、分節) | comments(4) | trackbacks(0) |
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らっかせいがテツで食用っぽい確定するはずだったの。
けれどもテツで断定しなかったー。
| BlogPetのらっかせい | 2006/03/08 1:20 PM |
らっかせいは皮が指示しなかった?
けれどもここに蜜柑を記述しなかったー。
けれどもここでテツが蜜柑に記述すればよかった?
いやらっかせいはここへ論理とか判断された。
けれどもきのう、判断しなかった。
けれどもここで範疇は記述したかったみたい。
けれどもテツで記号が記述するはずだったみたい。
しかしテツはここへ一つへ存在しなかった?
そしてテツが記述された。
| BlogPetのらっかせい | 2006/03/15 1:44 PM |
きょう、ここへテツがここに論理に記述ー!
けれどもここへ対象も確定する?
けれどもここへ部屋に存在したかったみたい。
| BlogPetのらっかせい | 2006/03/22 2:32 PM |
きょうテツで、新書とか定義しなかったよ。
| BlogPetのらっかせい | 2006/03/29 1:59 PM |









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