雲の湧き上がるように。


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差し伸べられた手
近くのサイゼリヤによく行く。
思ったよりも手軽でそれなりのものが食べられる。
メニューが豊富とは思わないが。

そして、ウェイトレスが
なかなか可愛らしい。
特に新米の子のぎこちなさがいい。
ぎこちない中に、何かしなければという
気持ちも見てとれるからだ。

他人の気持ちは
本当のところ分からないが
分からないということが
様々な行動の引き金にはなる。
コミュニケーションがありうるのも
そういう落差あってこそである。
落差がないと思えば
「メシ」「フロ」「ネル」で済む。

私とあなたとの間にある溝を覗き込む時
一足飛びにあなたへと向かおうとする人もいる。

鷲田清一は『皮膚へ』で
谷川渥を引きながら女装を
まなざしよりもっと直接的に
相手に流れ込もうとする欲望のあらわれと見る。

「自分の肌を女の肌と想定する屈折した意識のもとで、外からのではなく内からの皮膚感覚に身を委ねようというのである」(谷川渥『文学の皮膚』*孫引き)

これなら女装癖というのもわからなくはない。
女への欲望が自らを女に仕立てることに駆り立てる。
それならば、女自身も「女」という像に
どこか憧れを抱いたまま「男」に抱かれるのだろう。
何かいびつな構図。

皮膚とまなざしが鏡のように反射しあって
けれども、皮膚の内側に自分がいると信じた時に
それは諦めと重なり、無限映しはそこで止まる。
諦めは私とあなたとの間にある溝から溢れてくる。

そうなれば
流されないように手をつなぐことで精一杯なのだ。
ベッドの中でどれだけ近づいても
離れることの恐れは手を空いたままにさせない。

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