雲の湧き上がるように。


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行為の形式的なルールと展開
行為の形式的なルールが引っぱりだされる
というのは、その反対に脈絡と目的に関する無視であり
時間軸の無視である。

ただ、僕自身、
コミュニケーションは形式をもとになすべきだと
言ってるわけで、だから、それは
僕は歓迎すべきなのかもしれない。

ただ、「コミュニケーションを形式へ」という
そういう公式はつまるところ
内容という、判定し得ないところで推量が重ねられ
無限の後退が起こることで、
形式的なコミュニケーションが削減されていくという過程に反発してのことだ。

何か問題を提起していく、
新たなイシューを提出する時に
それを形式的な行為に関して行うとするなら
それはやはりコミュニケーションの削減が行われている。
その問題提起はあらかじめ決まったものであり
「私」の発言である必要がまったくないのである。

形式的な行為の判定基準の論争へと
それが持ち越されるなら、
それは神々の闘争という果てなき論争に移り変わるだろう。
というのも、そこは目的の国だからだ。

問題を提出する時に
「私」こそが発言するならば
目的の国においてでなければあり得ない。

一方で、互いに歴史を展開していきたいと思えば
神々の闘争は神話的な記録にしかならず、
つまり、展開のためにはならない。
ただし、展開をする世界を開くためには
まず、目的の国において、神話的起源が設立され
その永遠の過去を出自とするなかで
「私」は発言をし、発言をしたという形式性において
神話ではない、今を生きる「私」の展望というのがありうるのだ。

そして、問題提起のために
行為の形式的なルールが参照される、というのは
我々の可能性の源泉である「世界」を
ある限界のもとにおいている。
確かにコミュニケーション可能性は高まり
言説の流通効率は高まるが、市場そのものが革新されない場合、
市場はいつかかならず衰退するということもいえるし
あるいは、その(言論の)市場はいまだ成長期にあるといってもいい。

つまり、この場合、政治の市場は
ある世界の中に固定にされつつある。
別の言い方をすれば国家像は定着しつつあり、
その文法が整備されつつある時代にある。
低成長と、少子高齢化の効率的な分配という
方法論の時代にあり、
この時代にあるニ大政党とは
(自由主義と共産主義の)目的論的神々の闘争から
方法論への展開という、その弁証法のためにあるだけで
だから、民主党は目的論的な理念の政治家ではなく
官僚を中心とした集まりにならざるをえない。

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