雲の湧き上がるように。


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ヒューマンコンディション
「コミュニケーションは自由に接続しない」で
考えてたのは結局のところ「自由」以外に
「人間」の条件が何かあるはずだと思ったのである。

世界の改変(革命ではない)につながる
選択ではない形での展開。

僕らは主体的であり続けることはできないし
主体など、事後的に観察されるものでしかない。
そうではなくて、生きるにあたって
引き受けるしかないものがあるということ。

ポーカーのカードは五枚あって
それを一枚どれかを選んで捨てる。
捨てたら、かわりに何かを引き受ける。
捨てた後に何を拾うかはとても重要だが
それは選べない。

ルールは?
変えられるかもしれない。
しかし、何かゲームをしなければいけない。
ゲーム?

展開がそこに待っている。

「人間」は時間の概念を持っている。
いくつかの時間概念のタイプはあるものの
時間概念がまったくないならば
不在を理解することはできない。

というのもないものはないので
言葉を使うことはできない。
あるいは、言葉を現実に働きかける
何かの力として使うことができない。

今、目の前にあるものだけが
現実だと言うのなら、
そいつはリアリストでもなんでもなく
単に、人間として生きることを諦めている。
というのも、何も望めず、
何も思い起こすことができないからだ。

時間概念には僕が特に強調する「展開」だけでなく
周期型のものもある。
また、広がりを持つ「現時」というものもある。

「展開」はもっとも自由に関係が深い。
私の選択が不可塑なものとしてあらわれるからだ。
そこでは確かに私は責任を負う。

けれども、自由-責任というコネクションは
それほど広い部屋を与えてくれはしない。
三面鏡の中に閉じ込められた私がそこにいる。
袋小路である。

周期型は、記憶と関係があり
あるいは歴史的ですらあるもので
アイデンティティと関係が深い。
しかし、ここに自由はないし
近現代を超えた今、これを根拠に生きるのは困難だ。
というのは周期を持ったとしても
複数のラインを持つのが当たり前になり
それが時に共鳴し、不協和音にもなる。
安定した周期型を保とうとしてもそれはうまくいかない。

「現時」というのは充足した状態である。
安定した統一、世界と私との一体感、没入感を基礎にしている。
手段と目的とが分離せず、
そこでしていることがすなわち、目的であるような
そういう体験のことだが、僕が今、問題にしてるのは
世界の改変である。

いや、世界の改変なのか?
「私」という無限地獄を抜け出すこと、
そして、新たに「私」に出会うことだ。
そして、人間が生きるために必要な条件を考えている。

「他者」、「コミュニケーション」も
また、「展開」に近い。
「展開」は必要だ。
しかし「何を」展開するのか?

「私」をか?
それとも「世界」を?
どちらも違うような気がする。

今は時間がないので、これまで。

| 虚構を抱えた現実を抱き締めて | comments(2) | trackbacks(0) |
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 奇しくもテツくんが「「私」という病」という言い方をしていましたけれど、それは確かに病以外の何者でもないのだろうと最近ことに思います。
 ところで「私」が病であるとして、ではそれは地獄なんでしょうか(もちろん比喩でしょうけど)。むしろ、「「私」にとらわれること」が地獄である、ということのような気がします。そしてテツくんの定義によると、わたしは人間として生きる事を諦めているということになりそうです。
| 享子 | 2004/09/07 1:11 PM |
「「私」という病」は私を金縛りにします。
だから、「「私」にとらわれる」なら
自覚だけはすべてありつつも、宿命だけを背負うという
地獄巡りをしなければならないでしょう。

一方で「私」という統一性を完全に放棄することも
やはり、危険なことです。
仮にそれがねつぞうされた中心であっても
中心を持たないのなら、コミュニケーションを
構成する落差(の終着点または始発点)を
設定することができないですから。

おそらく享子さんは
この点で「人間として生きる事を諦めている」と
言っているのでしょうか。

ただ、自由は主体という中心を持つわけですが
それとバランスを取るように
「私」を解体する営みがあると思うのです。
自由と同じように時間に(そして展開に)関係があるとは思うのですが
いまだにそれに適切な名前が見つかりません。
ともかくも、浮遊する「私」もおそらくは
人間の必要な条件として拾われるべきなのです。
僕が思い付きで言ったことですが
「私」は「あなた」である、というところに
僕は重要な響きを感じています。

だから、享子さんが自己からの遊離を感じているとしても
それはそれで必要なことだと思うのです。
(あるいはそれを遊離する私を眺める私という
恐ろしい「私」の無限映しとして考えることも可能ですが)

ニーチェを読みもしないのに
「超人」という言葉はちらつくのですが、
そんな便利なジャーゴンはほっといても
未知のあなたとの間にあらわれる
未知の私の断面に、私が更新され続ける原動力をみたいのです。

ちょっとあの記事は
仕事に遅刻するか否かというぎりぎりで書いたものなので
(そして遅刻した・涙)
筆がすべってる部分は御容赦ください。
また詳しく考えます。
| テツ | 2004/09/07 9:40 PM |









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