雲の湧き上がるように。


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唇の話の向こう側。
唇を見て思っていたのは
つまり、充実、ということだった。

だから、僕にとって
そこでアートの話をしていたのは
偶然ではなくって
つまり、充実はアートとつながっている。

充実というのは
理想と現実の幸福な一致のことであり
輪郭線がためらいのない形で
かたどられている状態だ。
美と一言でいってよい。

大きければいいというわけではなく
自分自身との調和が充実である。

アートは作為の具現化だから
自分の方法(具現化過程)について意識的でなければならない。

そんなことを話していたのだけれど
それとは別に意識をしていなくても
つまり、ルネッサンス以前も
僕らはそれを芸術としてのアートとして扱う。
そこには美と充実が認められるからで
美は常にアートなのだ。
アートが美とは限らない一方で。

というのも完全な一致は
最終的に自意識を持っている必要すらない。
明らかな事実としてそこに認められてしまうのだ。
本人がいくら否定しようとしても
第三者が肯定できるのはそこに充実が認められればそうできる。

僕は時にフェティッシュな視線で
女の子を見てしまうけれども
それはどうしても、そこに充実があるのだと思うからだ。
充実が一瞬の永遠であるなら
どうして、それを今、誉めたたえずにいられようか。

| 生きる技法としてのアート | - | - |
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