雲の湧き上がるように。


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都市の随想
こんにちわ。
15連勤中のテツです。
はい、ちょっと頭が痛いです。
風邪気味なのは、でも大学の時も
すでに毎月風邪気味だったのであまり気にならないのであります。

いや、ちょっと気になるか。

それよりネット断ちはきついな。
うーむ。

関係ないけど近い将来準備が整えば
都市をめぐって都市論を書きたいと思う。
下はそのメモ。

***

ずっと書きたかったんだが
京都の京極通りだったかに
定食屋があって、そこは
メニューが店の外までところ狭しと張られている。

これを見た印象は内臓が外に飛び出しているような
胸糞の悪い、嘔吐感で、事実、
メニューなんてのは店の中にあるべきものだから
内臓は飛び出し、吐瀉物が外に張り付いたようなものだ。

けれども都市というものを考えるに
都市生活者は多かれ少なかれ
都市に生活機能を依存しているわけで、
カフェが私のリビングであり、
カラオケボックスが私の音楽室だったりして
つまり、もともと内臓ばかりが集まっている。

都市は最初、故郷にこころを残した肉体が
外側の生産とコミュニケーションをする場所として
現れていたとは思うが、もはやすでに
こころなどというのは、個室の中に
あるいはコインロッカーにでも放り込んで
それで内臓の中で遊ぶようにできているのだとふと思う。

むしろ、ここで問題になるのは
外側の消失であって
僕らは皮膚というのを失いつつあるか
自分の尻尾を飲み込む蛇のような
あり方で都市に生きてるのではないかなどと思う。

皮膚を失った後にあるのは
存在の空虚さであり
血の詰まった皮袋でさえなくなるのなら
個人は消失するほかないだろう。
そうして群集はあらわれる。

けれど、僕らはいまだ自覚的に人間であり続けることを考えると
その都市構造に逆らいながら外側を生産する機構は
また別に存在しているのだろうとも思える。
それについてはまたゆっくり考えよう。

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