雲の湧き上がるように。


<< August 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>


スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています


| - | - | - |
技法と信仰心
夢には技法の問題なんてなくて
それに対する態度の問題なんてない、と
享子さんの掲示板に書いてから
ふと思い出す。

これは野矢が「心」の問題として取り上げていた
ことと同様ではないか。

それの実在や内実を確かめる術のないとき
問題は技法以前にそれに対する態度に集約される。

私は他者に「心」のあることを信じる。

という言明と

私は夢を見たと信じる。

という言明と

私は私に私の人生があると信じる。

という言明は何か似ている。
その信仰告白をしなければならない時は
そうとう追い詰められているのは間違いないが
信仰告白ということをできること自体が
これらの不安定なあり方を示している。

あるいはもともと不安定である。
一方で、必ずしも技法の問題がまったくないわけでもない。
ただし、信仰告白そのものを封印し、
それの存在を確固たるものとして前提してしまわなければならない。
まさか、それが信仰告白によるものであったとしたら
僕らは日々敬虔になるほかないのだ。

不埒な僕らはそれを
見なかったことにして
技法をねつ造する。

そうして、運命に働きかけることができる。
夢に働きかけることができる。
他者に働きかけることができる。

ある種の侵犯と暴力のおそれは常にある。
そして、形式的にはそれは暴力以外の何ものでもないが
それは私の信仰心を賭け金にしているので
企てが失敗した暁には私の信仰心は失せ
私は他者や夢や人生ではなく
私そのものを危険にさらす。

| 自由な私について | comments(0) | trackbacks(0) |
<< | 2/2 |