雲の湧き上がるように。


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choriマネージャーの一日。
昨日の夜は童司君とchoriと僕で飲んでて
遅い誕生日祝いとか。

実は、童司君とはちゃんとした状態で飲んだのがなかったので
きちんと、見ておきたいと思って。
特に今後choriと組んでやることが多くなるだろうから。
まぁ、別にそんなに心配して聞いてたわけではないが。
ただ、こういうことはなんにせよ初めに聞いておくに限る。

午前二時くらいで、
僕があまりに眠くなったので帰る。
何故かchoriも一緒だ。
僕はすぐ寝て、choriは僕のパソコンでネットしてた。

10時すぎ、僕は起きて
ロフトから下をのぞくと
choriはうまいこと下を整理して寝ていた。
あんさん、慣れ過ぎや。

11時頃にchoriを起こすまで
僕は新聞を読んだり、今日することを考えてた。

12時choriは出て行き
僕は部屋に残ってKSWSの缶バッチを受け取る。
ダフ君の作ったロゴに
一応、僕が最終的な調整をして作ったもので
明後日のKSWSにて販売する予定。悪くない。
っていうか、ちょっと嬉しくって帽子につけてみた。

13時頃、今日ライブのあるVOXホールに
リハの入り時間を問い合わせる。3時半ねぇ。
洗濯物とか洗い物とか山ほどあるんだけど。
(ちなみに、洗い物の大半はchoriが
勝手に作ってた夜食の犠牲者たちである)

ある程度片付けてから
choriにもらった詩集に載せる詩のリストを印刷する。
そろそろ田中さんにも連絡とらんとなぁと思いつつ
最初は封書にして出そうかなとか考えつつ
早稲田のdig up projectもそろそろ提出しないと、
でも、今日ライブ音源が手に入るしな、とか
あ、エンタの会場予約せんと、とか
名刺、まだ間に合うかな、とか
考えてるうちに電話。

「テツさんいつぐらいに来れます?」
「うーんと、5時くらい」
「了解」
「なんかいるもんとかある?」
「あー、アンケートつくってこりゃよかったなぁ」
「そうかい、作ってみる」

ってな感じで
アンケートを作る。
ついでにライブスケジュールも少しつけて。
印刷が終わって、洗濯物を干したら
16時半。

メールが入ってもうリハが終わったみたいだったから
めんどくさいしタクシーに乗っていく。
ウェンディーズで会ったchoriは
なんかくまとか出来てて、ポテトが気持ち悪いとか言ってた。

まぁ、でも時間もあることだし
どうにかなるだろう、ってんで、
アンケートの準備が出来たら会場へ持ってく。

まだ、18時にもなってない。
choriの出番は20:30なのでひたすら時間を持て余す。
最初のうちは、なんやかや詩集のことやら
KSWSバッチのことやら話してつぶしてたけど
それでも開演しないくらい。

こんなにもてあますなら、
正直本を読んでいたい気もするのだけど
(勉強できてないし)
choriがあんまり体力がない感じで
ほっとくのもどうかと思ったので
特に何をするというわけでもないが、一緒にいた。

しばらくするとジュンコさんが来て
いつもの通り、目をひく大きなカメラを持って
「気にせんでええよ」と笑顔で言い放ち
choriをぱしゃぱしゃ撮ってた。
気づいたらchoriは変なテンションになってて
ある意味こいつは「見られると興奮する」
露出狂的なところがあるのではないかと思ったが
そういうことは言わず、ジュンコさんと
これは才能だねぇと言っていた。
まぁ、でも才能であることには違いない。

ジュンコさんが客席に去ったあとも
choriのテンションはストップ高で、
体力的に天井は明らかにあるのだが
落ち着かずうろうろしていた。
出番が近づくに連れてひげダンスの熱が入る。

前のバンドが思ったより早く終わって
ちょっとびっくりしたけれども
choriを見るために、僕は客席へ移動。

choriの登場を待つ。

ライブの感想とかは
きっとchoriのMMで書くのでそれはいいとして
全体的に言えば、疲れているがその具合が
より精一杯感を感じさせたり、抜けるところも自然に抜けた。
ところどころ、何かが追いつかない感じになってるところもあったが
それはコンディションの問題とやりなれてないところがあるんだろう。
基本的には詩人のスポークンワーズとして
よく空気を作れたと思う。

スタッフの人たちからの評価も高かったし。

ただ、もうひとつ何かあるといいと思うが
今のこの疲労困憊を地でいくchoriに
それを火急の問題として突きつけるのは無理があるし
また、次のライブもあるし、修正していけばいいと思う。
やつはそういうところは少し言えばよく分かるやつだし
作り手でない僕があまり踏み込んで言うこともないだろう。

カレーうどんを食べて帰る。

choriにはすぐ寝ろよ、と言ったが
ここんとこダーツをしてないので
ちょっとだけ投げたくなった僕は少し寄り道。
でも、入った店ではショップ対抗のリーグ戦をやってて
一般客はいなかった。

やりずらいなぁ、と思ったので
印刷した詩集の原稿に目を通す。
確かにいい言葉が並んでる。
そこにある希望について
語ることのできる数少ない一人だと思う。
もしかすると、優しすぎるかもしれないが。

流れもアルバム的になってて
分かりやすいな、と思うのだが
微妙な違和感があるところもあった。
音楽だったら静かに終わって、
次がカットインで轟音とかもありうるのだけど
詩集では違う気もする。

それと、単体で読んですごく好きだった詩が
何故か鈍い色になって見えるのもある。
言葉は思ってた以上に浸食するものかもしれない。

一編ずつ扉を作るのも面白いかもしれないが
それは対策としては、違う気もする。
でも、きちんときりのいいページで
始まりと終わりをしていくことは必要だろう。

とか、考えたのち
ハウスダーツで5ゲームして
とりあえずLow ton出たし帰るかと帰ってきて
今、この辺でかちゃかちゃしてる。

| 感情の風景 | comments(1) | trackbacks(0) |
残像
何かを愛おしもうとするなら
何も手元にはおいていけないのだろうと思う。

写真に撮って思い起こそうとするのは
変わりつつある変わらないものを認識する手助けには決してならない。

時間の流れとともに
すべては変わっていく。

笑顔のまま泣いてしまうような
そんな繊細さを愛そうと思うなら
何も手元におかず、もっと言えば見ることすらかなわないだろう。

僕がここにいる、ということから
始めてよいのなら、ふれたときに返ってくる
柔らかさに満ちた力を感じることが唯一正しいのだと思う。

具体的に手でふれるなら肌の感触だろうし
目で見ようと思うなら、
その見られたことに対する表情の変貌だろうし、
言葉で愛撫するなら
返された言葉の温度だろう。

それらはすべて決まった形を持たないどころか
それが愛おしむべき対象の何かであることも決して保証しない。
もしかすると、それは何かノイズのまざったものであるかもしれない。

ただ、そういうことはたいした問題ではないのだ。
対象が何であるか、ということは最初から問題になりようがないほど、
すべて変わっていくのだから。

そうではなくて、そこで
ふれあっている接点の関係こそが現実たるものだろう。
向こう側に作り上げる像というのはいずれ
壊され、また作り直されるのである。

ただし、接点の関係だけが関係ではなくて、
離れたままでも僕らは勝手に色々考える。
それが互いの心として作り上げられ
ふれる以前に作用している。

つまるところ互いに知覚を差し出す前に
一方的に受け取ることが可能で、
これは経済的ではあるけれども、そして現実的でもあるだろうが
現実とはいくらか離れたものだろう。

だから、写真を眺めることによって現実を補おうとしても、
それはどうしても空虚な試みなのだ。
あえて、それを肯定的に言おうとするなら、
物語とはそのような意味の経済の中で動いていて
ようやくそこに目的や達成が生まれる。
それはもちろん、その人が目の前にいる時にも
同時に働いている作用で、言葉を交わしながらも
空回りを起こしながらも互いを駆り立てる力になっている。

でも、ずっと写真ばかり見ようとするなら
当然、現実的なものは、現実を供給されなくなる。

そして、早く会いたいな、だなんて言葉が漏れるわけだ。

| 感情の風景 | comments(2) | trackbacks(0) |
走り、そして眠る。
自転車を買った。
近所の西友で安いのがあったから。

なんでこんなに安くなるのか不思議ではあるが
乗ってみたら分かった、
ハンドルが自由自在にタテに回ってくれる。

なめとんのか。

危なっかしくてしょうがないので
修理してもらおうと思ってもってったら
自転車担当は今の時間いないのだという。

かといって、
買ったのに乗らないのは血がざわついてしまうので乗り回すことにする。

三条商店街をくぐりぬけ、
烏丸を疾走し、ハンドルが一回転しそうになったあたりで
見渡せば飲み屋の並ぶ木屋町にたどりつく。

いったい俺は何をしているのだろうと思う。
まだ、引っ越しの疲れも残っているのに。
ネオンは色々と酒やら女やらで誘おうとするけれど金もなし。
仕事をやめてまで京都に何をしに来たのだろう。

や、表向きは分かっている。
というか、来た理由は知っている。
何かをしようとして来たのである。

で、それができなかった場合、俺は何をしに来たのか
それでも分かるのか。
すこし先に鴨川がある。
あそこの橋の下には、
もしかするとお前がしたかったことにするであろう
住処があるんじゃないか。

橋の上には
「オランダから論文を書く為に来ました」と
書き添えてある横で、三味線を弾く外国人がいた。
小銭と千円札がすこし入っていた。

しばらく眺めていたけれど
目が合う前に立ち去り、遠くへ遠くへ逃げ去るように遠くへ
木屋町を北に上り、キャッチの群れをかいくぐっていく。
いつかのときと代わり映えのしない街並。

懐かしんでいる。
いまだ懐かしんで、ここに立っている俺はぼけているのではなかろうか。
あの時の自分にケジメをつけるだとか、
そういうことはとても些末なことだ。

そう言い捨てたところで、
いつまでも台詞はこの街並のようにまとわりついている。

信号が青に変わる、前に走り出した自転車を追い越して、
さらに加速しようと握りしめたハンドルが
くるりと回ってつかめなかった。
あわてて握ったのは自分の親指で爪の食い込む感触があった。

痛い。

痛いのがなんだ、と思ってペダルを漕いだとしても
俺が寝たら、体はこの傷を治そうとするのだろう。
明日は自転車を修理に出そうと思う。

大丈夫。
俺は痛みも疲れもよく感じている。
遠くまで走れるはずだ。

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存在する炎は消える。暗がりに見える残像は目を閉じても。
ろうそくに火がついています。

横から手を近づけても
熱くはありません。
上から近づけようとすると
離れていても熱を感じます。

火は距離よりもベクトルが問題になるのです。

さらに、傾けても火は
地面にたいしてほぼ垂直に動きます。
空気の対流に従って火は上にのびるのです。
それは直接に重力の原理に反するのではなくて
対流の原理によって上にのびるのです。

二つの原理がある時、それはたいていねじれています。
正反対の原理であるならば、たいていそれらは同じ原理です。

ねじれた原理は互いに直接影響を与えることはできません。
でも、息を吹きかければ、揺らぎます。
これが存在するということで、
存在するということはほかの存在するものによって影響を受けるということです。
もう少し詳しく言うと、接触する可能性があるということ、
互いの境界が触れるかまじわるかする可能性があるということです。

***
 平行するもうひとつの話


見えないということと
理解できないということは違います。
見えなくても理解できるし
理解できなくても見えます。

見えないことと
何もないことも違います。
見えなくても何かある時があります。
けれどもこの場合、何もない時には見えないのでしょう。
一方で、見えたものはおそらく「ある」ので
「ある」ことは見えても見えなくてもまったく関係ない、
そして「見えない」ことはあるかないかに関係ない、ということです。
互いに関係するのは「ない」ことと「見える」ことです。

「見えれば」あるし
「なければ」見えない。

ねじれ、見えますか。
ということは、ねじれがあるんです。

あるといっても見えることの証拠にはならず、
見えないからといってないことの証拠にはならない。

ある、と、ない、の話をもう少しすると
ない、というのは単なる空虚であるよりも
ある、の抜け殻である、ということです。

それまであったタバコ屋が取り壊されて
空き地になったとしても、ない、と強く思う人は
タバコ屋を知る人でしかありません。
ぼんやり「ない」と思う人はつまるところ
街並に急に出来た穴を見て、街並が「ない」と思うのであり、
それすら感じない場合は空き地が「ある」のです。

この時、見えないことは非常に弱いです。
というより、何も見えないということは、目が開いている限りありえず、
つまるところ、われわれはすべて「見える」という地平のうえで
ある、と、ない、を期待に基づいて区分けしています。

ただ、何も見えないのがありえないなら
見えないというのは何を指すのかと言えば
はなから「ない」に接続した用法であるといえるでしょう。
「不在」の感想、あるいは主観的表現として「見えない」があるのであって
外界からの刺激によって「見えない」と言うのではないのです。

別の言い方をすれば「不在」は究極的に確かめられていないのです。
そして、「不在」は消えることすら許されず、
すべての存在が消える日まで亡霊のようにさまようことになります。

***

そして、ホワイトバンドの話をします。

あれはもちろん、ファッションとしてすでにずいぶん流通しています。
主張が可視化され、存在として流通しているのです。
単に文字によって主張が存在するよりも
「見える」ようになることでとても強く生き延びる可能性を持っています。

同じようなものとしては
「赤い羽根」なんかがあるといってもいいかもしれません。
でも、ホワイトバンドのほうがよく「見え」ます。

赤い羽根の募金の回収額は赤い羽根が22億ほど、(H16年度)
ホワイトバンドは3ヶ月で200万本突破なので
年間で800万本いくなら24億になります。
(改めて計算するとすごいなぁ)

この強さはやっぱり、つけやすくて
かつ、シンボルとしてわかりやすい、という可視性の強さでしょう。

たぶん、なんでもファッションになってしまうと
それらが形骸化したり、忘却されたりすることを恐れる人がいます。
その心配は一部はあたりで、でもおおむね間違っていると言っていいはずです。

つまり、一度「見える」ようになって存在を主張しはじめた思想は
それがまた、見えなくなっても不在を証し立てることにはなりません。
可視化された思想はいつでも亡霊のように立ち上がる足場を得たわけです。
(ネガティブな用語になってしまうけど、僕は用語にたいして平等なので)

また、形骸化するというのはたいした問題ではありません。
ある意味で形骸化するのはどんな形態であっても
運動が組織化されるなかでどこかしら形骸化につながるものがあるのです。
(組織が組織の為に動くようになるので)
そういう意味でなくとも、ホワイトバンドのポイントは可視化ですから
それが有効に「機能する」というのは、有効に貧困国を救うことではなく、
貧困と関連するホワイトバンドが「見える」ことです。
それによって貧困問題が人の会話にのぼることが最大の機能であって
ホワイトバンド買ってその足で売春ツアーに行こうがなんだろうが
ホワイトバンドは有効に機能しています。

実際にこんなことする人はシンボルを理解できないのでしょうが、
その場合であっても、有形無形のプレッシャーがかかるようになるでしょうし。
(なんか浮気防止の指輪みたいだ)
だから、どれほど形骸化しても、ホワイトバンドの機能はなくならないのです。
存在し続けるかぎり。
別の言い方をすれば、組織は組織として自律的に再生産を行ないますが
「ホワイトバンド」という概念も自律的に再生産されるようになるのです。

概念が可視化されていなければ再生産された概念が
複雑な分節を繰り返し曖昧になると生き残る力を失います。
けれども、この場合、概念が可視化されているので、オリジナルの概念から
どれだけずれてもこの概念は生き続けます。

このズレの可能性はそのままリスクではあります。
けれども、存在することはそのまま力になります。
どのように動くかは、最終的なところは分かりません。
ただし、今ある流れがよくないと思うなら、やはり力が必要なのです。

***

僕は静観するというか、
どれだけホワイトバンドしないことに圧力がかかるか試してみたいのでしません。
でも、この手の表象はほんとにコントロールできるんかなぁ。
まぁ、今のところうまくやってるけど。

| コミュニケーション | comments(3) | trackbacks(0) |
午前五時
今週末はチラシがはいるとかいうのに
まったくもってスタッフ不足で
店から抜けられません。

でもバイト募集で少しずつ集まったので
29が休みになった。

でも、上から電話がきて
「悪いんだけど、10月2日までとか無理?」

「えーっと、2日は無理なんで、
どうしてもというなら、1日まで」

ということで仕事終わりが一日伸びました。
仕事終わってから1日は完全休養が欲しかったのに。うう。

らーめんの仕事やめたって
仕事はあるわけで、
金がもらえようともらえまいと仕事は仕事。

父親が心配そうに聞こうとするが
はっきりいって、彼の頭の中には
僕がなんの仕事をするかは興味がないと見える。

よく考えれば前にも説明したことを
別の角度から言ってるだけで、僕のしたいことは
そうかわってない。
それどころか、小学生の時くらいからそんなにかわってない。

少しずつ肉がついてきてるだけのことで
僕にとって根本的な方針の転換なんてのはほとんどない。

よくわからないなら、もっと
似たことでも違う角度からたくさんの質問を投げればいい。
僕は親に説明責任があるとは思ってないし
よもやまの資産がどの程度か知らんし
そんなものに手をつけたくない。

きちんと説明すれば支援するとか
気持ちの悪いことを言ってくるに違いないから
あんましたくないんだが、
一度、そろそろサシで個人面談でもするべきかもしれん。

そんなことを考えながら仕事を終えて
午前五時、おなかがすいたので
宮本むなしでいつものを食べる。

特上卵ご飯にから揚げつけて発泡酒。
さびしくてわびしい午前五時の定番。

| 日報(ケータイ込み) | comments(2) | trackbacks(1) |
これからのこと。
僕は10月には仕事をやめる。

学業と、それから詩人choriのマネージャーになるためである。

それはいいんだが、ここんとこ忙しすぎて
考えがまとまる前に仕事に行ってしまい、
そして次の書きたい事が起きたり、思いついたりする。

整理をつけるのがたいへんなので
一度リセットしようかとも思ったけれども
リセットした後のかたちを考えるのも面倒なので
ちょっと当面はこの形にする。

そうはいっても、メルマガ22世紀リアリティは始まってるし
全然安定はしてないわけだが。

まぁ、しかし個人のプロジェクトとしては
22世紀リアリティとプレゼントボックスは連動させながら
文芸公共圏のような場を作れればいいと思っている。

PBの適正規模は30人くらいで
メルマガはその10倍から20倍くらいでいいだろう。
それを超えたら個人の仕事としては大変になってくるし
運営の形態も考えるべきだろうけど
今はそこに到達することを。

あとはリアリティの問題を考えなくてはいけない。
普遍的なメカニズムの問題と
現在の「情報化社会」と呼ばれる社会のリアリティの問題とを。
前者は対象を同定する認識の仕方と
感情そのものであるような状況の享受の仕方について。
後者は情報がモノ化する現状について
また、情報の形式がより重視される中でのコミュニケーションの変容。
コミュニケーションはまた、前者の問題系にもかかわるだろう。

とりあえず今はここまで。

| 日報(ケータイ込み) | comments(3) | trackbacks(0) |
文芸系雑食レビューマガジン「22世紀リアリティ」
次回は19日発行なのだけど
仕事が忙しくてぼろぞうきんのようにくたくたです。

原稿を渡してくれた人たちのためにも
なんとか期日までにやりたいです。

ちなみに次号は
谷君のエッセイと
僕と水菜美さんの往復書簡による
国際関係論がはじまります。

それからミニレビューも募集中です。
投稿にはそれぞれポイントがつきます。
ポイントがたまると僕がおごりに会いにいきますんで
そこんとこよろしく。

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